マニフェストスイッチ沖縄
未来はあなたが決める
1945年9月20日、沖縄本島の収容所。
沖縄戦が終わり、廃墟となったこの島で初めての選挙が実施された。
「女子ノ棄権ガ多イト思ッタガ豫想外ニ好成績デアッタ」(沖縄諮詢会会議録)
本土よりも一足先に、女性に選挙権が与えられた。画期的な選挙だった。
沖縄の民主主義はこうして始まった。
1950年9月17日。戦後初めての公選となった群島知事選。
投票用紙を受け取る老婆の写真が残っている。
真剣なまなざし、緊張感が伝わってくる。
投票率は88.55%だった。
沖縄は戦後、米軍政権下にあった。
1969年11月の佐藤・ニクソン共同声明で72年の返還が決まった。
そして、70年11月、戦後初の国政選挙が実施されることになった。
11月17日の紙面には
「二度と夫や子どもを戦場にやりたくない」
「経済発展を望む」
「基地撤去を」
「復帰への不安をなくしてほしい」
などの有権者の声が掲載されている。
「国政に送り出せる」
「沖縄の声を反映できる」
「沖縄の意思を強く訴えなければならない」
「茶の間ではテレビにクギづけ、町を走りまわるタクシーもラジオを流しっぱなし、各職場でも仕事に手がつかない」(1970年11月16日 紙面から)
投票率83.64%を記録した。
後に続く数々の選挙でこの数字を越えたことはない。
選挙に未来を懸ける人々の思いがそこにはあった。
あれから何度も選挙が実施されてきた。
沖縄県議会議員選挙の投票率
1972年 76.96%
1976年 82.28%
1980年 79.71%
1984年 77.09%
1988年 78.57%
1992年 75.80%
1996年 66.36%
2000年 65.23%
2004年 58.72%
2008年 57.82%
2012年 52.49%
選挙の度に、減少している。
「誰がなっても変わらないんじゃないか」
「候補者の遊説は当てにならない」
「時間があれば投票に行く」
(2004年11月8日付、沖縄タイムス紙面から)
早稲田大学マニフェスト研究所の調査では
「候補者の情報が不足している」
「争点が示されていない」
「マニフェストが手に入らない」
課題が浮かび上がった。
6月5日、沖縄県議選が実施される。
沖縄タイムスと早稲田大学マニフェスト研究所は共同で、全立候補者70人に政策アンケートを実施した。
なぜ、政治家を志したのか。
どんな地域にしたいのか。
解決したい課題は何か。
今回、それぞれの考えを知ることができる特設ページを開設する。
選挙区ごとに候補者の政策を比較することもできる。
政策には、
候補者がどんな課題があると考えているのか、
これからどんな行動をとっていくのか。
有権者と候補者の「約束」がつづられている。
これからどんな未来をつくっていくのか、
一票を投じるための重要な選択肢だ。
マニフェストスイッチ沖縄/沖縄タイムス/早稲田大学マニフェスト研究所